知るを知るとなし知らずを知らずとなす、これ知るなり【知的な謙虚さ】

こんにちは、ゆえです。
いつもブログを見ていただきありがとうございます。

今回のタイトルは、孔子の論語の引用です。

原文だと「子曰、由誨汝知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也」と書くようです。

生きていくために大切な「知的謙遜」について考えていきます、それではしばしお付き合いください。



知るを知るとなし知らずを知らずとなす、これ知るなり【知的な謙虚さ】


ゆえ
論語にこんな言葉があります。
孔子が門弟の一人に語った言葉で、自分が持つ知識や情報の範囲を把握し、逆に自分が何を知らないかを正しく理解する。
これが物事を本当に知るということだ。

という意味です。

実にユーモアがある言葉ですが、孔子の考え方の正しさは近年でも裏付けがあると言われています。

知らずを知らずと為す

態度を身につけると私達の判断力は大きく上がり、結果として高い客観性が育まれる事実が明らかになっています。

このような態度を知的謙遜と呼んだりします。

文字通り、自分の知識の限界をちゃんと把握できている状態のことで、無知の知にも近い考え方と言います。

無知の知というのはソクラテスが出した言葉です。



Googleが最重要視している知的謙遜

Googleのような先端企業はすでに知的謙遜の重要性を深く認識しており、同社で人事を担当した職員によると次のようなコメントがあります。

googleのワニ
Googleでは社員を採用する際に「謙虚さと責任感」を重視します。
あらゆる問題を解決しようと試みるオーナーシップを持ちつつも、自分の立場に固執せずに他人のアイデアを受け入れる謙虚さを求めます。
仕事の最終目標は問題解決のためのチームとして働くこと、そのためにはチームのために貢献しながらも自我を引っ込める態度が大事になります。

他者の貢献を正しく認めるには、ただの謙虚さではなく知的謙遜さが欠かせません。

知的な謙虚さがなければ私たちは物事を深く学ぶことはできないからです。

優秀な人ほど失敗を経験したケースが少なく、失敗から学ぶ方法を学べていないことはよくあります。

知的な謙虚さがないと、自分が犯した失敗から改善点を学ぶことができず、いつまでたっても客観的な力が育たないというわけです。

東大卒でも知的な謙虚さが無い?

とかげ
実際のところ、有名な大学を卒業したような学生たちが、仕事の現場で持ち前の能力を発揮できない自体はよく見られます。
つちのこ
このような現象が起きるのは、優秀な人たちほど知的な謙虚さがないことが多く、そのせいで根本的な帰属の誤りと呼ばれる心理的な罠にとらわれやすくなるからです。

根本的な帰属の誤りとは、「良い事が起きたのは自分のおかげで、悪いことが起きたのは他人のせい」だと考えてしまうこと。



結局自分が一番可愛い

人間は誰しも「自分のことを可愛く思う生き物」なので、どんなに知的なレベルが高い人でもミスや失敗を他人に押し付けてしまう傾向があります。

知的レベルが高いと、根本的な帰属の誤りを犯しやすいです。

ゆえ
何か良い事が起きた場合は、彼らは「自分が天才だったから」だと考える、逆に何か悪いことが起きた場合には、彼らは「他の誰かが愚かだった」、「または自分が十分なリソースを得られなかったのが原因」だと考えてしまいます。
わに
このような考え方を続けていては成長は見込めないと思いますし、常に失敗は誰かのせいと考えていては、人が育つはずもなく、正しい判断をすることができません。

知的謙遜が強い人は固い信念を持っているが、その一方で自分の間違いやすさに気づいており、問題の大きさに関わらず何を誤ったのかを知ろうとする意志を持っています。

日常的な言葉で言えば柔軟な心に近いと思います。

知的謙遜のポイントは受けいれる事

自分がどれだけミスを犯しやすい人間なのかを受け入れ、その認識に従って適当な行動を取り入れるかどうかが知的謙遜の大事なポイントです。

自分の限界を知っている分だけ根本的な帰属の誤りに惑わされにくく、異なる意見に対しても寛容な態度を崩さず、ちゃんと事実に基づいた判断を下せると思います。

間違いを恐れずにしっかりと認める態度には、それ自体に立派な価値があるし、そしてこの態度は決して意識して伸ばすことができると考えられています。

全ての人が知的謙遜を少しだけ伸ばしていけば、お互いへのフラストレーションは減り、つまらない喧嘩もなくなると思います。

要するに知的謙遜は、客観的な判断力を高めるだけでなく、日々のフラストレーションを下げる働きも持っています。

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