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集団かつ個人 | 公でありつつ自分を忘れない事

こんにちは、ゆえです。
いつもブログを見ていただきありがとうございます。

今回は集団と個人の話しをします。

それではお付き合いください。



集団かつ個人 | 公でありつつ自分を忘れない事

社会の一員として生きるためには、学校や会社、地域など集団に向き合うための活動が欠かせません。

しかし、そういった各所に対する意識の一方で、パーソナルな存在を前提とした活動にも同じくらいに注力すべきです。

会社や組織といった人間集団は、個人での集まりであるにもかかわらず個人への社会への固執を広くは許しません。

しかし、大集団としての公ではなく、知的な個人をさらけ出すやり方でしか伝わらないこともたくさんあります。

このような個人の性格にすれば加工することで、集団に向き合う自分を相対化して見つめ直すことができるようになります。

集団と個人のどちらにも偏りすぎないバランス感覚が、ネットワークが角多様性が尊重される社会おいては重要になると思います。



デジタルかつアナログ、デジタルは完全な世界ではない

インターネットの拡大によって、デジタルは世界のあらゆる領域を網羅し、今や森羅万象を表像するかに思えるほどです。しかし、デジタルとは本質的に不完全性のある方法論です。

デジタルで全てを知り、全てを実行できるように思える現在だからこそ、アナログ側から知覚したり実行したりする契機が大切になると思います。

デジタルで表現された世界は、世界の一部に過ぎません。

心に全体性を希求するなら、デジタルとアナログの質にも足をかけたポジションから世界を探索すべきです。

デジタルでできることをアナログで拡張し、アナログのものとデジタルを用いて永続性を探したり、限界費用を下げたりするような反復アプローチの大切さは現在のAI OT時代の世界観に通底するものでしょう。



短期的かつ長期1年後100年後同時に考える

人間が未来を創造するときの時間帯も様々です。

遠い未来であるほど目標は壮大になり、その傾向にありますし、もちろん、時代的制約にとらわれない観点が重要です。

私たちの生きる今現在、この瞬間をいかに生きるか、という問いの先につながっていることを知るべきです。

この1年が100年後にどう影響を及ぼすのかと言う思考と、100年後のあるべき世界から逆算された1年と言う思考の中間地点を、常に模索することが重要です。

傍観者と主体者。

私たちはすべて出来ない、しかし何ができるか考えることができる。

私たちは世界で起きている全ての問題に対して、会社として向き合うことができません。

例えば、アフリカの飢餓の問題の解決に向けて、今すぐ有効なアクションを起こす事は、距離的に離れていることもあり、少数の日本人にしかできないかもしれません。

自分自身や家族に問題を抱えている人が、それを放置していてもありません。

人間の体は1つしかなく、与えられた時間も限られ、認識の領域は狭く、知性が及ぶ範囲も限られています。

仕事で関わることがあったり、日常生活の中で貢献できるなら積極的に関与すべきですが、すべての人にその能力と機会が与えられているとは限りません。

しかし、一見自分には関係がないように見えても、実はできること、そしてできないことがあると気がつくでしょう。

自分もそうだったからこそ、多くの人に、自分には何ができるか主体的に捉えると言う一方踏み出してほしいと考えています。

ゆえに私たちは、傍観者であるプロジェクトと、主体者であるプロジェクトを、正しく判断する必要があると思います。

主体者であるプロジェクトについては、責任を持って取り組むこと。

そして、傍観者であるプロジェクトについては、自分が主体的立場にないことを自覚し、問題について賛同する主体者を支援していきましょう。